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幸せへのステップ4

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私はこの方がフラッシュバック式に何日かに亘って綴っていた病気の記録を、無我夢中になって一気に目を通しました。私はこの日まで、もがき苦しみ、結局一人では答えが出せなかったこと、そして今後の行方、それをこの方の文章の中で見つけたのです。ハンデがあれば工夫してやっていくー この言葉が、私に歩みへのヒントを与えてくれました。

この人に悩みを話せば、今の私たちを必ず良い方向へ導いてくれるだろうと確信しました。私にとって、たったひとつ分かち合える共通の悩みがあるというだけで、見ず知らずの人にでも心を開くには十分な動機でした。

すぐに返事はきました。私に妻の立場で、どうしたらよいかを話してくださいました。そのアドバイスは、私の旦那と全く同じ目線であるからこその的確なアドバイスで、彼が今どういう状態や心境であるか、またそばにいる私の心境までも100%汲み取ってどうすべきかを話してくださいました。

この方のアドバイス通り、しばらくは彼の目の見えなくなった側を手をつないで歩くことと、車の運転は率先してやりました。何も言わずに、彼が自ら運転をするという日まで。。この方の記録によれば、車の運転はいずれできるようになるとわかっていましたから。時間はかかるかもしれないけど、車の運転だけじゃなく、きっと元の生活が送れるようになるだろうと、この方に出会ってから少しずつ思えるようになったのです。なにも焦ることはない、これからはゆっくり旦那のペースでやっていこうと。

私は旦那に起こったことを、心を許す数名の友人たちにもメールなり直接会うなりして話しました。そのほとんどが、実はこのブログを通して知り合った人たちです。私はここで素晴らしい仲間に出会いました。いくら時代がSNSに傾倒しても、人と人との絆が結ばれていく過程は流行に流されることはありません。だから私は友情という名の勲章を抱かせてくれたこのブログに、これからも全霊を注ぎたいと思っています。
5年経った今でも、それぞれの友人が投げかけてくれたエールや言葉は忘れていません。生涯で最も傷ついたときに、寄り添い、かけてくれた言葉は、どれも当時の私に必要な言葉で、本当に温かかったのです。

私には何が何でも立ち直り、元の生活に戻らなければならない理由がありました。

生まれたその瞬間から、ひたすら愛を注ぎ30年間必死で育ててくれた母のためです。

私はもちろん父と母の子ですが、私は母のお腹にいたときから母の鼓動を聞き、母の血を分け合って大きくなり、母からうまれてきました。私のお腹の中にも、ちょうどこのとき3ヶ月になる赤ちゃんが育っていました。この一心同体の思いは、我が身も母であるからこそ感じるものでした。


私と旦那が再び元の生活にもどるまでは、両親には、このことを知らせたくはないと思いました。この取り乱した心境では、このような悲しい報告はしてはならないと。私は週に一回のスカイプの画面上では、何も起こってないかのように普通の日常を装いました。
私は母のためにも、幸せになることを諦めてはいけない。あんなにも大事にした娘の幸せを信じ、海外に嫁に送り出してくれた母のために。

幸せへのステップ5


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